なにか「新しい試み」を行ったあとには、必ず考えることがあります。 “ 本当に、やる意味はあったのか、やらなくても別に良かったんじゃないのか ”、ということです。
そんなことを考えるたびに思い知らされることは、「新しい試み」自体は演繹的に始まるものだけれど、それによってやってみたあとには、きちんと帰納的プロセスによって逆の検証もしていかないといけないのだ、ということです。
ひとつの「新しい試み」として、企業の枠を越えて実施したWeb5社の合同選考について、前回のこのブログで紹介しました。 今回はその続き(検証編)です。
企業が合同するということについて、最近特に、「オープン・イノベーション」、「知的交配」、「エクスプロレーション」などの言葉を、頻繁に耳にするようになりました。まさにいろいろな切り口で、社外との交流や協同の価値が見直されているように思います。企業が枠を越えて結び付き、あたらしい価値を生むための方法がたくさん模索されていくでしょう。これも「ソーシャル」を前提にシフトしていく時代の、ひとつの価値創造のありようだと思います。
私たちの専門領域である採用活動でも、企業同士の交流から生まれる企画がちらほら増えてきました。これからますます、業界問わず、成果事例がたくさん出てくるでしょう。(まだ殆どの場合は、説明会のみということのようですが、どんどん進化すると思います)
でも、本来は大切な価値を持つはずの、こういった「新しい話題」が、表面的にだけ広がっていくことも多く、それは好ましくないものです。目的なり経験なりの検証プロセスがないがしろなまま(演繹も帰納もないまま)拡がってしまう、だから本来の趣旨が骨抜きになってしまう。・・・・・・ままあることです。
ゆえに、今回も長文になってしまいますが、きちんと、私たちが行ったことの振り返りを記したいと思っています。
(長文ですので、最初にサマリを。)
【今回のサマリ】
■短期成果として、内定者を獲得。そのコストは6万円
■中長期の課題解決アプローチとして、「採用活動のフラット化」への挑戦
■合同施策に必要な4つの条件とは
■直接的・短期的な成果について
さて、本当にやる意味があったのか?と問うとき、まず意識するのは、やはり目に見える成果指標です。企業の経済活動として、行っている以上、ここが抜け落ちては仕方がありません。
今回の合同選考を5社で実施するに際し、明示的・短期的な成果指標については、次のように定めました。
(1)今まで出会えなかったタイプの人材に出会えるか
(2)この施策から内定者が出るか
これらの指標に従って結果を測定すると、今回の合同選考は「概ね成功した」と考えています。
正確な数値は、6月下旬にお知らせできると思いますが、速報的なデータとして、
・5社中ほぼすべての企業で、合同選考から内定者や内定レベルの人材を獲得
・そのためのコストは、6万円/各社
・広報効果(日経新聞1面、日経パソコンなど掲載、NHKでの放送など)
といったところです。
・これまで出会うことがなかったであろう企業と学生が出会え、
・コストも抑えられ、
・新しい取り組みとしての広報もできた
という、いったんの成果です。
採用活動において、接触できる人材ゾーンを拡大することは、意図してもなかなか難しいものですし、新卒紹介や各種イベントには何十万円もかかることを考えれば、企業合同での施策も、それなりに良い選択肢と言えるのではないでしょうか。
■視点は、中長期の課題解決へ
上記のような短期的指標や定量的成果の指標に従う一方で、さらに考えたいことがあります。
それは、結果に至る “ プロセスは正しかったのか?---中長期の課題に取り組む姿勢として間違っていなかったのか? ”---という視点です。これも、私たち採用担当者にとっては避けられないもののはずです。
なぜなら、「新しい試み」とは、目先の結果だけを求めて始めるものではないと考られるからです。理想を実現したい、現状をよい方向に進めたい、根本的に変えたいという意思によって、「あらたな成果」に向けて継続し、積み重ねられていくのが「新しい試み」の価値にほかなりません。
そして、今は、そういった試みが、たくさん必要なフェーズであるように感じます。私などが言葉を弄すものでもないですが、現在の採用活動の在り方は、中長期レベルで価値観を変えなければならない時期に差し掛かっているでしょう。
企業が直面する課題が、マーケットやユーザーに対して、企業はいかに携わるべきか、どんな関係創造をして生き残るのかといった、企業活動全体の価値観の変容なのであれば(その認識を共有するのであれば)、採用活動だって、企業の経済活動の一部であり、マーケティング活動そのものです。
それらの文脈と切り離して存在できるものではありません。
■「フラット」でなければ成立しない、という気づき
今回の試みを通じてわたしたち5社の人事が取り組んでいたことを、一言で表すならば「採用活動におけるフラット化とは、いかに成立するのか」ということではなかったかと、思います。
これがサマリに示した、2つ目の点(中長期の課題解決、フラット化への挑戦)です。
そこに近づくことはできるのか?近づくべきなのか?近づけば何が果たせるのか?・・・そんな試行錯誤の中から、得られた考えや見えてきたものがいろいろありました。
最初に、この「フラット化」について、あらためてその概観を抑えておく必要があるかと思います。ここで少しの間、話題が採用からは外れて一般論の脇道に入りますが、少々お付き合いください。
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「ソーシャル化」する社会構造の全体の変化を捉えた場合、いま必要となる行動価値基準は「フラット」「オープン」「オンリー」「ロングターム」の4つである、というまとめ方があります(※)。
(※このまとめ方は「ソーシャルメディア進化論」 武田隆(著) ダイヤモンド社(刊) を参照しました。
・フラット:上下関係なく、価値を共有
・オープン:隠さずひろく正直に公開
・オンリー:あなた一人にとっての価値提供を追及
・ロングターム:時間をかけた関係構築、継続
もちろんこれらは「する/しない」というデジタルなものではなく、間になめらかなグラデーションが存在するでしょう。
そのグラデーションを、どれだけ「フラット」色が濃い方に持っていけるか……その行為を「フラット化」と言いたいと思います )
「合同」などを含め、企業があらたに取り組もうとする施策の多くは、「ソーシャル」視点をとりこんで成果を模索する活動にならざるをえないと思います。
この4つの視点による整理は、実践するほどに非常に的を射ていると実感しますし、これまでの弊社のソーシャルリクルーティングの中でも、特に大切にしてきた考え方でもあります。
これらの価値観が考慮されない企業活動は、だんだん見劣りしてきてしまう、そういう要素でしょう。
なかでも「フラット」という側面は、今の日本の企業の現場における、明確な課題になってきているように見えます。
つまり、自社が求める結果を得るためには、もはや自社都合を最大化する「非フラット」な発想で努力しても実現が難しい世の中になってきているということです。求められているのは、関係する当事者全体の利益を最大化しようとか、両者の利益を創り出そうという行為であり、それを率先できないと、得られる結果がだんだん乏しくなってくる。
昔ながらに、当事者間に上下関係をつくって自らは上に立ち、そこに発生する何らかのギャップ(優位)から便益を得ようとしても、そんなことはユーザーには見通されていて、そこにユーザーからの信頼は得られなく、共感も生まれない。
その努力はもう無理っぽい。どうやら、上下の関係やその優位性などは見直し、お互いのメリットを再構成するところに、新たな価値を生み出す必要がある。そこには多くの人たちからの共感が生まれ、賛同を得ることで、あたらしい成果への道筋が拓ける。
……でも、それに気がついていても、どうすれば良いのかがわからない、思い切った舵取りができない、それよりも目の前の成果が優先されてしまう、……という現状ではないかと思います。もしかしたら、採用の現場のみならず、人事の領域全般に、それはますます強くなってきているのに、と。
そういった中で、わたしたち人事は、あらたな成果を求め、実現する必要があるでしょう。
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■採用シーンで「フラット」が試される理由
「フラット」を前提とした採用(就職)活動とは、企業と学生と、あるいはそれ以外の関係者とが、「上下がなく」「同じ価値を共有」する思想で形づくられることが条件であり、「フラット化する」とは、そのあり方にどれだけ近づいていくかという行為だと捉えています。
そんなこと分かりきっている! ように思えるかもしれませんが、根本的なところで過去の思考パターンから抜け出せているのか、疑ってみることが最初の重要タスクだと思っています。
まず注目したいのは、採用活動において「同じ価値を共有する」という点を、どう把握しているかです。
企業側が何か便宜や犠牲を払って気に入ってもらおうというような(企業が下になる)類のものでもないし、逆に、学生側が気に入ってもらおうと考えをすり寄るものでもない、与えてもらって成立するような関係性でもないはずです。
さらには、「利害の対等」というのも、違う。
象徴的な例があります。採用する側の言い分として、 “ 学生も辞退できる。お互いが選ぶ立場なのだから、学生も企業も対等だ。だから上下はない ” という発言に出会うことはないでしょうか。
この言い分はあちこちに脈々と存在しているように見えます。しかしながら、その「利害の対等」という感性が、あらたな価値をもたらすことはないでしょう。
そこで言われているのは、いわば「銃を突き付けあう権利をお互いが持つゆえの対等」、という論理です。
お互いに同じ核兵器を持っているから、「同じ価値の共有」が生まれる余地があるという理屈は、かなり怪しい。両者の利害が相反する前提で、行使できる武力が対等」と言っているのでは、同じ価値の共有=フラットであることとは、根本的に発想の立脚点が異なっています。
私たちがずっと考えていたのは、まさにこうした「採用活動におけるフラット化とは、いかに成立するのか」「自分たちは、そのことを本当にこれまで考えてきたのか」ということにほかなりません。
特に、合同選考の実現を考えるにあたっては、(前回のブログで書いたとおり)学生・企業・その他の3者のメリットが鼎立することが必須条件だと考えました。それらのどこかがひとつでも欠けると、きちんと理解・納得してもらうのは相当に難しく、特に合同選考という形式については、批判にさらされる要素すら多い、あやういものだと思っていました。そこを外れる設計はしないし、行動一つもそれをはずれてはならない。
5社の面接官の前に一人で立つ学生が、5回分のジャッジメントを一度に受ける施策である、という見方をしてみれば、企業側の都合が押し通された場合のひどさ、学生への負担は、想像に難くありません。ここが、この施策の危険性であり、克服するべき想像をめぐらせるところです。
その克服のためには、「フラット」を志向し、形に具体化するしかない。
今回の5社合同施策を運用するうえでの最大の不安は、各社の考えや目的のバランスが崩れ、集約しきれない結果として、企業側のご都合が前面になることでした。それならば、せっかく思いついたアディアだけれど、止めたほうがいいと考えていました。
採用活動において企業側が合同するということは、すべからく類似の状況を孕むことになるでしょう。
ところが、無意識なまま、銃を突きつけ合うことを「対等な関係」と言い、その発想で、演繹的な検証もなく、中長期の行動変容への危機感もないままでいると、こんな明白なところにすら思い至らない危険性があって怖いのです。その状況で「新しい試み」をしたがっても、成果に結び付くことはないだろうと思うのです。
新しい試みをしてみたけど、思いのほか成果が出なかった。という場合、その試み自体の良し悪しよりも、こういった基本的な価値基準や行動基準の理解がズレていなかったか、検証することが、まずは必要ではないか。これが今回の施策を行ってみての、大きな振り返りです。
逆に考えれば、考え方や行動について勘違いせず、中長期の課題解決として採用活動の取り組みを考えられる企業にとっては、それが合同施策にせよ何にせよ、「新しい試み」と「あらたな成果」への道筋が、いろいろ見つけられるものだとも考えています。
■実現するための4つの条件
これらのことを十分意識していても、現場実務として具体化するには、いろいろと考えるべきことが出てきます。
ここからは、サマリにあげた3つ目のポイントに入っていきます。担当者の実務として、企画設計や運営において意識した内容を、経験からの帰納プロセスに切り替えて、「成果を出すための4つの条件」として並べてみたいと思います。
★条件1: 弱者連合ではないこと
企業が合同して行う施策(おそらく採用に限らず)は、弱者連合ではうまくいかないと思います。
ここでいう弱者とは、決して、母集団が集められない企業とか、名前が知られていない企業とかいうことではありません。
そうではなく、「少なくともこういう学生にはリーチできている」という自社の特徴や「こういう課題については自社なりの仮説にもとづき、手立てをとっている」という、自社の採用の強みを(小さくてもいいから)作ってきた努力がある企業かどうか、ということです。
自社なりの特徴を作れていない、強みを認識できていない企業のことを、「強さがない」=弱い企業とここでは定義したいと思います。
そういった弱者連合の何が問題かというと、どのような施策にしろ、自分たちの「短期的な」都合を第一に考えてしまう危険性が常に高いということです。例えば、採用の現場であれば、第一の目的が、無差別な母集団獲得になるというような危惧です。これはまさしく各社の特徴や強みが持ち寄られていないからで、その結果として、相手(学生側)にとってメリットが感じられない施策になってしまうことが、容易に想像されます。
これは、出発点として「フラット」がそもそもバランスを崩している典型で、その瞬間に、全体の信頼関係が崩れざるを得ません。結果として、中長期の課題はいうまでもなく、短期の結果でもうまくはずがない、という構造です。
各社それぞれの強さと課題を持ち寄るからこそ、相互補完したり、レバレッジをきかせたりできるのです。「自社にはこういう強みがあります、手立てがあります、御社はどうですか、であればここは補完しあえるのでは?」、という意識で企業が合同しないと、結果として乏しい魅力か、多大な悪影響しか、残さないのではないでしょうか。
弱者のままでは、「フラット」に至る努力は、なかなか生まれづらいと思いますので、どのような企業同士で組むことができるか、考慮が必要です。
★条件2: 第一の目的が「効率化」ではないこと
合同で選考を行うことで、学生も企業も一部のところで手間が大きく省けますが、省くことの意義や箇所を間違えると、成果の獲得はままならないと思います。
「手間を省く」ことの意義は、その「手間」というのが、「何らかの理由でこれまで続けていた、意味のない活動」だからでしょう。お互いにとって意味がないから、省きたい。
まず、お互いにとって意味がないものは何なのかを考える際にも、自己都合に陥らないことが大切だと思います。
そして、意味のないことを省いて空いたリソースを、より本来的な価値を生むために投入できるか、どうか。そこに時間の効率化や何かの削減は行わない。なかんずく、当事者どちらか一方だけの効率になっている(※選考プロセスが効率的になったとか)ということでは、相手の行動を促すことは、難しいと思います。
この観点でもまさに「フラット」を認識できるかが影響を与えるはずです。
今回わたしたち5社がプロセスとして特に手間と気をつかったのが、
(1)選考は必ず学生さん1人1人に十分な時間を割く(最低30分)
(2)伝えたいことを全部伝えてもらえる場にする(形式も、雰囲気も)
(3)参加してくれた全員にきちんとフィードバックをする
ということでした。そして、合同とは別の選考ルートも準備しました。
どうでしょうか。
全体として、「手間が省けてラクになった」などというものでは決してないと思います。
特に強く意識したのは、合同選考では、(当然のことですが)結果についても5社分が一気に出るということです。ここで上記(1)~(3)のような要素が効率化の名のもとに省かれたり、ないがしろにされたりすると、この施策は大きな罪を生むものになってしまう。
今回の合同選考では、一次選考の結果、全体の20%の方々が「5社すべて合格」になる一方で、18%の方々に「全社から不合格」の判断をしました。
その結果通知の文面を書いていて、ふと、手が止まりました。5社すべてから不合格になりましたという通知が届く。これは、就職活動に対する自信を失わせるようなことにならないか、そんなことは私たちがやりたかったこととは、まったく違ってしまいます。
ならば、個別フィードバックをいかに行うべきか、その文面を一人ひとりに対して、どう書こうか、そこに「フラット」が体現できなければ、余計なお世話みたいなコミュニケーションになってしまう・・・そんな(メール書きかけてずっと悩み込んでしまうなどという、社会人の生産性という観点から見れば、大変みっともないと思われるような)悩みの時間を久しぶりに体験しました。採用担当になった当初以来かもしれません。
合同施策が目指す、3者お互いにとっての価値とは、機会創出が最適に最大化されることです。学生にとっても企業にとっても、よりよい出会いや発見の機会が好ましい形で増大することです。そのときに必要な「効率化」とは、きっと「負の遺産の精算」であり、同時に「正の価値の追加」のことでなければならないでしょう。
★条件3: 合同ならではの情報提供を考える
合同選考に参加する学生さんのほとんどは、その中の1社への関心がきっかけで、5社を知り、合同の選考にも参加してみようという流れになります。もともとは関心のない会社にエントリーしてもらうことになるので、各社の事業(のアイデンティティ)を粘り強く理解してもらうことが、とても重要です。
では、どう理解してもらうのか。ここをきっちり設計することが本当に重要になると実感しました。
合同している企業に魅力を感じないままだったり、腑に落ちないままになってしまっては、仕方がありません。もともと関心のあった1社にしか興味が無いまま選考を終えるのでは、「合同の意味」が発揮されない結果になってしまいます。
参加する学生側にとって、いろいろな企業が合同して行うことの最大の利点は、「自分が関心を持った企業を糸口にして、他の企業についても関心が広げられる」「自分に関心をもつ企業に見つけてもらえる」ということ以外にありません。
例えば初期の理解形成の場として説明会をするケースでは、自社だけの説明を5社が行っていても仕方がないでしょう。そうではなく、例えば、合同している他社の事業上の位置関係を明確にし、各社の優位性や課題など (プラスの面もマイナスの面も、同じ業界にいるビジネスの視点から) お互いに明示していくのが、理にかなった方法だと思います。
ある企業に対する、他社視点からの冷静な意見を聞ける説明会というのは、就活生にとっては納得感が高いはずですし、就活の中でも、めったにない価値ある情報が得られる経験になるのではないか、と思います。それが合同ならではというものでしょう。
これまで自社のみで行ってきた通常の説明会の構成や内容、目的から考えると、ここには思い切りが必要だと思われます。他社の社員や人事が、目の前で我が社の説明をするということになる。しかし、こういった情報の流通や共有の設計は、やはり「フラット」の発想そのものなのであり、なおのこと価値を生むはずだと思います。
逆に言えば、プロセスの初期段階からこの設計がきちんとできていないと、学生側からは「ただの企業の寄せ集め」「合説」という見え方になってしまうでしょう。
実は、わたしたちが行った合同施策に反省があるとすれば、説明会でした。ここにもっと注力や工夫ができれば、さらに参加してくれた皆さんの納得度もアップしたのではないかと感じています。たとえば、説明会から一次選考への動員という点も、もっと改善できたはず、と感じています。(説明会参加者の合同一次選考参加は63%で、それ以外の人たちは個別選考ルート参加になりました。この比率はもっと上がっていい。)
★最後の条件:
ここまで3つの条件を考えてきましたが、その前提となる、もっとも重要な条件があります。
それは、採用担当者たちが「自分たちの頭と感性を使って、自分たちで実現する」ということです。
「新しい試み」とは、それが解決する課題が大きいほど、他の人の問題認識から始まるものではないし、よその誰かの提案を求めていれば事が進むものでもありません。プロジェクトの発案者、実践の中心が、自分たち以外の誰かなどということはありえないはずです。
プロジェクトに関わる全員にリーダーシップがないと(もしくは誰かのリーダーシップに対する信頼が形成されている状態でないと)、そもそも「あたらしい試み」は動きださないと思います。
いわば「ソーシャル」な行動の真価って、「自分でやっていない限り、掴めない」ところにあると思います。どこかの業者が提案するプログラムに、企画の目的や運営を任せておこうというだけでは、超えられない壁があるのです。
リスク回避ばかりが優先されたり、利害調整のうえで成果を出すところまでの胆力や当事者意識が、弱いままであったり。自分たちが「クライアント」のつもりになってしまったり。
理想を実現する当事者は誰か。採用担当者以外にいません。それ以外の人が、そこに代替する余地は、ないはずなのです。
わたしたちは、「あらたな成果」を求めて行動したら、そこでは「フラット」になることが必須条件だと考えました。中長期的な視点として課題解決の方向として正しい、と。それは、実際に進めていくなかで炙りだされてきた価値観の確信というようなものです。
採用現場において求められるものは、どんどん変化し、増えてくるでしょう。人事がリーダーシップを発揮し、新しい挑戦を始めることが、今後ますます求められると思います。
誰かほかの人に「考えておいて」とか「具体案を提示してみて」とかいう態度からは、ソーシャルな時代の「あらたな成果」は、生まれないと、あらためて感じました。
■最後に
何か新しいことを始めるときには、短期的な成果と併せて、中長期の成果への視点が欠かせません。必然的に、演繹的な見方をする必要が出てくると思います。「こうあるべき」というものを強く信じるところからしか、具体的な行動を洗い出せないはずだからです。
その具体化を通じて得られるものが、オリジナルな経験にほかならず、そのオリジナルな経験からしか、真に実感できる要素・要件は得られないものです。
そうして得られたものは、帰納的なプロセスを通じて、「こうあるはず」「こうあるべき」という価値観に再び還元されていくでしょう。
本当に、やる意味はあったのか? やらなくても別に良かったんじゃないのかと、新しい試みのあとには、必ず考えます。
新しい試みをするとは、そういうことだと思っています。
文責:人事・採用担当 浦野
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