今回は、以下に引用した中村仁氏のエントリを下敷きに、就活系Webサービスの設計思想とソーシャル時代の課題について考えてみたいと思います。
中村氏のブログエントリを読み、その考察の的確さに感銘を受けたのですが、それはそのまま、就活系のWebサービスについての考え方にほぼ転用できるとも感じ、かなりインスパイアされました。
就活系のWebサービスの類型として、リクナビやマイナビに代表されるナビサイトと、みん就に代表されるCGMサービスが存在しています。
それぞれ「リクナビ型」「みん就型」と以下では呼称することにします。既存のほとんどの就活系Webサービスは、どちらかに分類されると思われます。
今回は、このサービスの2類型について、相違点を確認したうえで、新たなソーシャルコミュニケーションツール(twitterやfacebookに代表される)が登場した今後に認識されるべき共通課題について考えてみます。
■「リクナビ型」と「みん就型」の相違点
リクナビ型は、企業が宣伝ページを掲載し、そこに学生を誘導することを目的としたサービスです。
そのため、企業の情報掲載に対して課金することが収益構造となっています。
これは同時に「企業にとって不利なことは、リクナビはできない」ということを意味します。
対して、「みん就型」は就活生側の利益を前提にしています。
学生同士が情報交換をするために、CGMとしての掲示板が利用され、そこに流通している情報は「企業がコントロールしていない」「学生にとっての本音」であることが価値となります。
みん就型の収益モデルとしては、今のところ広告か、利用者(=学生)課金かのいずれかの選択だと思いますが、おそらく後者は難しく、結果としてディスプレイ広告を中心に考えていかれるでしょう。
そのために、「就活生の多くが利用している」という第一前提をメディアとして担保する必要があり、併せて(これはみん就に限らず、読者特化型Webサービスの多くにとって同様ですが)サービス利用者のリードを確保するためにリアルイベントを併催するというのも、常套手段となります。
■「リクナビ型」と「みん就型」の共通点:
このように異なっているリクナビ型とみん就型ですが、実は、その根底では共通する2つのロジックを持っていることも明らかです。(引用したブログが指摘するぐるなびと食べログの事例がそうであったように。)
それは、両サービスともに、
(1)「学生と企業の利益は背反する」という枠組みが前提
(2)「新規顧客の獲得」が前提
という2つの前提のもとに設計されているサービスである、ということです。
そして、まさにこの共通する前提こそが、「ソーシャルネットワーク時代」における課題になるであろうということも、だんだんと分かってきます。
(1)学生と企業の利益は背反するという前提:
学生にとっての利益になることをしようとすれば、企業側が何らかを一方的に負担することになる、という関係性が、両サービスの設計に際しての出発点です。例えば企業が出したくないような情報が流通すると、リアルな情報を知りたい学生にとっては利益になるが、企業にとっては不利益になる、、、というのが両サービスに共通する前提です。
一方で、企業のためを考えれば、(企業が効率的に物事を進めることがリクナビの最大のセールスポイントですが、)学生側に「企業にとって都合のいい」を押し付けることになり、「コントロールされたご都合情報しか受け取れない」「説明会の予約すらできないが、その理由はブラックボックス化される」「WEBのDMばっかり来て読み切れない」などなどの非効率を引き起こします。
こういった、「企業と学生の利害は背反するものだ」---という前提のもとで、企業サイドの利益に寄っていけばリクナビになるし、学生サイドに寄っていけばみん就になります。
リクナビとみん就はコインの裏表の関係であって、「企業と学生は対立する」というひとつのコインを形成しているのだと言えるでしょう。
(2)新規顧客の獲得という前提:
各企業で新卒採用のプロジェクトが始まると、昨年とは異なる学生(新規顧客)とのコンタクトが始ります。
中途採用にしても、新規採用案件が発生すると、その都度、あたらしい候補者へのアプローチが始まるでしょう。
つまり「新規顧客」の開拓なり獲得なりが、例年の採用担当者にとってのミッションとなります。
リクナビもみん就も、その前提で設計されています。すなわち、過去から未来への時間的導線は、年度ごとに切断され、コンテンツもコミュニケーション相手も年度ごとに切り離されています。
これは「大学3年生が毎年入れ替わるから」という発想が前提になっていて、それゆえに期間限定的な新規開拓コミュニケーションであることが、両サービスに共通する設計思想と言えます。
■それらの前提を過去のものにするソーシャルメディア
こうして見てみると、まったく異なるサービスであるかのように見えるリクナビ型とみん就型は、一段深いところでは同じ前提を基盤に成立しているということが分かります。
アプリケーションの設計方法は異なるものの、同じOSで動作しているようなものです。
しかし、ここ数年で、Webを取り巻くロジックの中心が、OSレベルでの設計思想が異なる“ソーシャルメディア”に偏ってきています。
Webのあり方=(イコール)=ソーシャルメディアのあり方として人々に受け入れられているここ数年の状況の中では、リクナビ型やみん就型に共通している先ほどの2つ前提が、そっくりそのまま「課題」にならざるをえない、と考えられます。
■ソーシャルメディアの設計思想:
上記に取り上げた2つの前提を、ソーシャルメディアの設計思想に照合するよう変換してみます。
(1)参加者は補完関係。お互いにコンテンツを作り合う
(2)「知り合い」の間柄は継続する。お互いのログを形成する関係
これが、今、ソーシャルメディア上で起きている行動原則でしょう。
(1)参加者は補完関係。お互いにコンテンツを作り合う:
就活における参加者とは、直接的には企業の採用担当チームと、その企業にアプローチした就活生ということになります。
ソーシャルメディア上の発想では、それら参加者によるお互いのコネクションやコミュニケーションのやり取りが、そのままコンテンツになって、関係性を構築し、アウトプットに繋がっていきます。採用の場面に置き換えれば、採用担当チームも学生もその企業の「新卒採用プロジェクト」を構成するメンバーである、という捉え型が感覚的に近いと思います。
たとえば、企業のツイートに、学生がリアクションすること(その逆も)で、ひとつのコンテンツが構成される。説明会では学生との質疑の往復を重視することで、説明会の内容に納得感や充足度が増すということも、お互いが説明会と言うコンテンツを補完的に作っているという理解になるでしょう。
そういった発想に基づく関係構築を、採用活動の全部のステージで行うこと。それがソーシャルメディアの本来の(設計思想に合う)使われ方になるはずです。
加えて、「参加者」の概念はもっと広げられ、企業にいる全社員(トップである経営者)、就活生以外の学生、自社に関わる色々な人たちも広く巻き込む可能性があります。
(2)「知り合い」の間柄は継続する。お互いの人生のログを形成する関係:
企業と志望者との関係は、本当にその年限りの、時限的なものなのでしょうか。例えば、エンジニア希望の中学生とか、アーティストとしての実力を持つ海外の高校生とか、実は新卒時に自社にエントリーしていた30歳の起業家とか、色々な人と企業がソーシャルな場で出会い、(緩やかにでも強固にでも)コンタクトをし続けることができます。
お互いの時間軸の中で、ログを共有し蓄積していくことが、仕事と人のマッチングに大きく貢献することは想像に難くありません。
毎回、一見(いちげん)の新規顧客を捕まえるということを前提にするのではなく、継続的にコミュニケーションを蓄積していく「知り合い」としての繋がりを根本とすれば、そこに根源的なのは対立関係ではなくて、信頼関係や相互補完関係であるはずです。
そんなことを考えてみると、時限的な活動を前提とした「面接」という手法も過去のものになる可能性は大きいと思います。さらには、「雇用関係」がなくても一緒に仕事はできる、ということも今よりさらに考えを進めていいのかもしれません。
これらのことは、現時点でのリクナビやみん就では無理ですが、twitterやfacebookであればすでに可能です。
就職活動の在り方が、ここまで社会問題といて各方面にとりだたされるのは、その発想や方法論が時代にマッチしなくなっているからに違いありません。
それは、過去に制約として存在していたもの(が作り出す枠組み)を、新しい仕組みが制約ではなくしてしまうからです。
新しい時代のロジックに従って社会は成り立ち、その社会で企業は成り立ち、その企業において人と仕事との関係は成り立つわけですから、これからの時代のロジックを考えてみることは、採用を、ひいては人と仕事との関係を成果に導くための基本ロジックを得ることになるはずだ、と考えています。
文責:人事・採用担当 浦野
sakaiさん>
コメントありがとうございます。「関係性資産」って良いワーディングですね。ストンと腑に落ちます。
新卒採用で関わった方々がキャリア採用の対象となるばかりではなく、例えばベクトルを未来に向けると、中学生や高校生なども関係性資産の対象になりますね。
関係性資産の大きい企業であるほど、採用に関するさまざまな制約から自由になれますし、関係性資産を蓄積できる個人は、雇用や仕事に関する自由度が高くなると思います。
そういう時代に「採用」をどう構築するのか、そもそも「雇用関係」のありかたはどう変わっていくのか…そんなことを考えていくにあたり「関係性資産」というものの捉え方がとても役立つように思います。
投稿情報: 浦野 | 2011/04/27 14:06
萌子さん>
コメントありがとうございます。こういうように議論を深めていてだけたり、フィードバックをいただけるのが、ありがたいです。
萌子さんのコメントに回答する様な形で、補足させていただきます。
(1)について:
就職ナビサイト(やそれを利用する採用担当者)の設計思想・発想のあり方について考えてみる必要があると思っています。
本当に今のナビサイトが「興味のある企業の事を知る」場に(構造的に)なりうるのか、ということです。
就活生の皆さんから最近よく聞くのは、「リクナビは情報源としては使っていませんよ」という言葉です。説明会予約のために企業側に強いられて使うことはあっても、純粋な情報源として就職ナビサイトは使っていない。情報感度が高い学生さんであれば、なおさらでしょう。
就職ナビサイトの設計思想は、企業にとって都合のよい情報を掲載する場としてしか存在せざるをえないので、学生にとって有利な情報収集の場であるという前提には立っていません。もちろん、それが、たまたま、就活生にとっても必要な情報だということが結果的にはあると思いますし、そうしようとする企業側の努力も充分あると思いますが、それは偶然なのだと思います。設計思想の範囲外の出来事であるからです。
リテラシーの高いユーザーにとって、「都合のよい情報だけ押し付けようとする企業側の態度」は、今後ますます信用されないものとなってくると思います。これは、飲食/就職に限らず、あらゆるマーケティングに共通することではないか、と思います。
「企業にとって有利な」が必ずしも「学生にとって不利」とは限らないというのは、現象として確かにおっしゃる通りだと思いますが、そもそもの設計思想を考え直さないと、ユーザー=就活生の感覚の変化に追いついていけないのではないか、という危機感が(1)の項を通じて考えたいことでありました。
(2)について:
政府が打ち出した、「既卒を新卒扱いする」というのは、私も良く分からない発想だなぁと思っています。(笑)
ここでお伝えしたいのは、「新卒採用」なんていう発想自体が、高度にネットワーク化された時代にはますます無意味になってくるのではないか、ということです。そのことを採用担当者が先見性をもって見ていくべきなのではないか、と。新卒採用という概念がなくなれば、既卒者うんぬんという話もでてきようがない。
おっしゃるような「そもそも新卒学生がユーザーなわけで」という既存の発想が、これからの時代に生き残っていくのか、ほんとうにそれって、「そもそも」なのか…そんなことを特にここ1年ほど、急に考え始めています。
投稿情報: 浦野 | 2011/04/27 13:27
今の新卒採用の構造は、本当に課題が多く人事側も大学側も、なんとかブレークスルーしたいと思っているのに、なかなか共同解が探せない状況だと思います。が、可能性はあると感じています。
新卒学生は毎年0リセットされても、キャリア採用の対象としてどんどん蓄積されていきます(笑)。関係性資産は、その意味でも重要だと思います。
投稿情報: sakai | 2011/04/27 07:12
中村仁氏のエントリは「飲食店」だが「就職サイト」でこの展開を応用するのは無理がある気がします。
(1)「学生と企業の利益は背反する」という枠組みが前提
(2)新規顧客の獲得という前提
とありますが(1)についてはお互い「興味のある企業の事が知りたい、ターゲット学生を集めたい、という目的があり、最終的にはうまくマッチングする企業、学生が探せたらOKなのではないでしょうか。つまりどちらかの利益がもう一方の利益に絶対つながらないとは言えないと思います。
また(2)についてもそもそも飲食の顧客とは違い、毎年ゼロリセットされる「新卒学生」がユーザーなわけで、ある意味当たり前なこと。しかも昨年の内定率低下(これは単にリーマンショックに代表される不景気が原因ではないと思いますが)を受けて、なぜか既卒して間もない学生(だいたい3年ぐらいと言われている気がしますが、定義もあいまい…)を「新卒扱いする」という何だかわけのわからない制度まで生まれました。
だから何?
というのが(2)の考察です。
そんな感じで中村仁氏のエントリは着眼点といい、素晴らしいなぁと思いますが、それが就活に当てはまるかというと、うーん、な感じがしました。
投稿情報: 萌子 | 2011/04/27 06:31