現状の就職活動の不具合のうち、採用側によって作り出されていることは多かれ少なかれあると思うのですが、厄介なことに無意識のうちに作られてしまうものも多いのではないか。・・・そう疑ってみる必要があると思います。たとえばこんなことです。↓
引用したこの記事を読んでいると、とっても気になるのです。 企業側が発する発言とそのスタンスが無意識なうちにおかしな方向に行っていないか、と。
(※なお、当エントリの趣旨は上記発言をしている特定企業や特定個人を対象としたものではなく、自分自身も含めた企業側がとりがちな態度に対する、自省も含めたエントリであるとご理解ください。)
"「経験をいくらつらねても伝わらない。(経験したことでいかに成長したかという)経験値を尋ねているのです」"
"「TOEIC950点取ったことより、850点でもそこに至る過程を聞かせてもらいたい」"
"「素のままの姿や感情を見たい。練習して作り込んだソツのない学生には、最近、ハマっていることは何か聞いたりします」"
■「その理由」が伝えられないことへの違和感
上記に引用したのは、記事中に企業の採用担当者が発したとされる言葉です。これらの発言には、個人的にかなり問題があると感じてしまうのですが、その所在は発言の内容ではありません(内容自体はその通りなものばかり)。
問題があると感じるのは内容ではなく、「なぜそうしてもらいたいのか」という「理由・目的」がこれらの発言では一切語られていない、という点なのです。
では、なぜ「理由・目的」が語られていないことが問題になるのかといえば、それは、
(1)企業がもつ就活生との上下関係意識が裏側に存在するから
(2)手段に対する対策しか産まないものであるから
という、採用活動(就職活動)を根本的に間違った方向に進ませる原因を体現しているように思うからです。
おそらく、先に取り上げたような発言の真意としては、企業側は面接において「リアル」を知りたいのだ、という意があるはずですが、就職活動を「リアル」から遠ざけているのが、まさにこの(1)とか(2)とかのスタンスなのであって、もしも「理由までわざわざ言わなくても分かるだろう」、ということなのだとすれば、それがそもそも間違いの始まりのような気がします。
■(1)について:企業が潜在的に持つ上下意識
そもそも企業側が面接で何を聞きたいか、というのは、企業側の勝手な要求なのです。
上記引用したような発言は、その企業側の勝手な要求に応えること(=企業側が設定した制限時間内に、企業の聞きたいように語らせる)を学生側に求めるものであるはずですが、それにも関わらず、なぜそうしてもらいたいのか、その理由や目的を伝える言葉がないという状態です。理由を伝えないという、この態度が言外に伝えているのは、指示する企業が上の立場であるという無意識のパワーコントロールであったり、「指示に対する従順な対応こそ、就活生の好ましい態度である」というメッセージングであるでしょう。そしてそのことに、企業側がもう少し意識的になっていいと思います。
果たして、企業が採用活動で求めるものは「指示に対する従順な態度」だったでしょうか?と。
きっと各企業とも、「指示された手段に対して、表面的かつ条件反射的に正しい対策をする人材」を明日の社員として求めているはずはないと思います。目的や理由が伝達されないというのは、単純作業を指示する際にありがちな光景ですが、その類のマネジメントで、優秀な人材を確保し組織で活かそうというのは、そろそろ無理があるでしょう。
それなのに、入口である採用現場の言動においては、無意識にそれを求めるものになっている。この矛盾を無意識に成立させているのが、旧態依然とした雇用や就職の図式(企業が上なのだ、という意識)であって、その残像を見たような、そんな感じがしてしまいます。
上下関係の中で、対応を半ば強制するとき、「リアル」が発現してくるかは甚だ疑問といわざるを得ません。
(また、話がずれますが、採用担当の方で 「学生だって企業を選べるし、選考や内定を辞退できるのだから、企業も学生も上下はない。平等だ」 とおっしゃる方がいますが、それは平等というものの捉え方がちょっと違うんじゃないかと思います。上下関係をお互いが握っていることは平等なのでなく、「対決の構図において力関係が拮抗している」、というだけではないかと思います。)
■(2)について:リアルなき手段と対策
上記のごとく、目的が共有されない状況では、手段レベルへの適切な対応を求められたとの認識を引き起こすだろうと想像に難くなく、そうなれば、そこには目的への志向なき「対策」が講じられるという状況は明らかです。結果、就職活動が手段と対策の応酬になるという、人事担当者が嫌がっているはずの(リアルなき)関係性しか産まない危機感があります。そういう観点からも、いわゆる就活「対策」の土壌が、企業側や大人側によって助長されているのではないかと、企業側として意識的になっていたいところです。自戒も込めて。
私の見る限り、これから社会に出てくる若者は、(偏差値ごとき単一・一方向なメジャーを拠り所にする)私たち大人世代よりも柔軟に物事を考える素地を持っており、そんな彼ら彼女らに、コントロールの利いた一義的・一律的な情報反応を求めるのは、あらゆる面において、かなりの損失であると思います。
企業がすすんで損失を生み出そうということには、当然、違和感があります。
いずれにしても、これらが、無意識に行われているのではないかというのが、もっとも気になるところです。だから基本的なことを、無意識化しないために、言葉にし続け、共有し続けることが重要ではないかと思います。それは何よりも、言葉にする側にとって、常に自己認識を改める行動に繋がるはずです。
(プロセスという「リアル」を、企業と就活生がお互いの関係性につなぎこむための方法論として、ソーシャルメディアを就活に取り込むことが価値を持つと思っていますが、これはまた別のエントリーにでもまとめます)
■面接で語るべきコトの「必然性」
企業側が採用活動の中で何を確認しようとしているか。それはなぜか。そうする理由・目的を、企業側が発信し、就活生個々人が各々のスタンスで理解することは、とても大切なはずです。なぜならそれは、自身が「面接で語るべき物事の必然性」を理解するということであって、その必然性を理解することは、就活生が企業の求める「リアル」を共有するということだからです。その「リアル」としての必然性を意識したうえで、若者が各々のスタンスで就職活動の中身を固めていくことは、個々人の就職(仕事をするということ)に対するスタンスを固めていくことに他ならないはずです。
"「なぜそういう行動をとったのか、経験をして何を学んだのかを、なぜ、なぜとどんどん掘り下げてほしい」"
これを求めるのも確かにそうなのですが、この言葉だけ切り出されてしまっては危険だと思います。結局、掘り下げて、何を探す必要があるのか、求める側が意識的に明確に伝えないと意味がないと思います。「なぜなぜと、どんどん掘り下げて、○○○を確認すること。そしてそれを、他人である採用担当者に言葉で伝えてください。」
この○○○に入る言葉が、それぞれの採用担当者の視点から伝えられるべきもののはずだと思います。じゃないと、どこまでいってもお互いのリアルが一致することはないでしょう。
■「再現性の証明」と、その「客観性」。あるいは「自己分析をどこまでやるか」
最後に、ここから就活生の皆さんに向けて、企業が面接の場でプロセスや経験の中身を聞く「理由・目的」について個人的な見解を記しておきます。
単純に考えて、次の2点です。
(1)あなたの行動や成果が、偶然や一回性のものではないこと、「再現性、反復性」があることを、企業は確認しなくてはいけないから
(2)その「再現性・反復性」が、自社に身をおいたあなたの「発展性」に結びつくであろうことも、類推しなければならないから
あらためて言葉にすると、そりゃそうだろという内容です。ですが、こうして確認してみると「就職活動」が結局は得体の知れないものでもなくなりますし、何をするべきかが、明確になると思います。
逆に言うと、就活では何をしなくてもいいのかが分かる、というのが重要かもしれません。
(1)(2)について、少しだけ言葉を弄して、このエントリのまとめにしておきます。
↓
面接において、結果や経緯(のすごさ)だけ聞いても、それが一回性のものであったり、当社にとって再現されるものでないなら、残念ですが仕方がありません。それは過去におけるリアルであったかもしれませんが、将来起こりうるリアルではありません。
あなたの行動や成果は、反復性があるか、それは自社の環境においても言えそうか、それらを確認するためには、それぞれの行動の中身を聞かせてもらう必要があります。
もう少し正確に言うと、「それぞれの行動の中身を、あなた自身が、どう認識しているか」を聞かせてもらう必要があります。
行動や成果の再現性や反復性が、もっとも明らかになるのは、自分の経験のプロセスと、その結果に至った外的・内的要因を、その人自身が客観的に認識している場合です。
それらを自分で客観的に認識しているということは、思考として抽象化・一般化(時に具体化)できていることを意味しているからです。それは数学の公式を手に入れているようなものです。リアルな事象を抽象化・一般化、具体化という形で公式化し、インプットできていれば、これからやってくる初めての問題設定においても、その公式が成果や行動として応用的に再現される可能性が高いと確認できます。
そして、思考を整理するとき、人は必ず言葉(記号)を使います。なので、整理された形を言葉として伝えてもらうことによって、思考がどのレベルで整理され、抽象化・一般化・具体化されているかが判断できます。(それを確認するための方法として、面接が最も優れていると考えます。)
それゆえ、それらの言語化された「リアル」を、初対面の他人(面接官)に共有できるようになっていれば、思考としての整理は充分です。
相手に共有できるということは、そのリアルに「客観性」が与えられているということです。その客観性があれば、その中身は未来の自分自身にも共有されているはずです。そして、そのとき初めて「自分の言葉」によって表現される(どこかで聞きかじった他人の言葉ではない)という証明をもって、相手に話せるようになっているでしょう。「なぜ、なぜ」と自分の経験を振り返るとき、見つけるべきものの正体は、その「客観性」であって、そこには必ず「自分の言葉」がある。それ以上のものを探すのは、就活で(特に自己分析で)行うべきことではありません。
以上のようになります。基本的なことほど、自分のやっていることが上手くいかなくなった時に見失いがちなので、気をつけたいところです。
また、こういった基本的なことを、あらためて振り返ってみると、企業が言っている「コミュニケーション能力」というのが、「口がうまいこと」ではないというのが分かると思いますし、面接で何か特別な経験をしゃべらなくてもいいということが分かりますし、自己分析が迷走することもなくなるでしょうし、時間の限られた面接時間で何を優先して伝えるべきか迷うこともなくなると思います。
そして、間違った企業を選択することも、選択されることもなくなるはずではないかと思っています。それは「リアル」ではない、ということが自分自身に明確になるからです。
文責:人事・採用担当 浦野
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