面接という限定された場において「再現されるリアル」を確認するため、採用担当者は面接スキルを磨いてきたり、手法に凝ってみたりして、時には間違った方向に走っちゃったり(笑)してきました。
でも、コンピテンシー面接やら焼肉面接やら飲み会面接やらをしてみても、控え室の様子をのぞいたりしつつグループワークをしたりしてみても、結局のところ「就職活動」という限定された場面設定(≒半フィクションの世界)で「リアル」を引き出そうとしているという、大くくりのところの矛盾は変えようがないのだと、ここのところつくづく思います。
そう感じるのは、twitterやfacebookなどに代表されるWebのソーシャル化が、そのような矛盾を抱えざるを得なかった方法論を、ことごとく相対化している様子がいくつも目に入るようになってきたからです。企業と学生のコミュニケーションに、時間的制約や地理的制約がなくなってきていて、これまでの制約を生んでいた前提が前提ではなくなっています。
もちろん、まず確認しておきたいのは、これまでの採用における方法論を今後も「全否定」する必要はまったくないし、できないということです。
なぜなら、「ビジネス上のコミュニケーション自体が、そもそも限定された場面での出来事である」ということは言うまでもない事実ですし、お互いの暗黙の約束事によって成立する共同幻想を無視していては、ビジネスが成り立たないどころか社会すら成り立たないはずで、だからこそ、そのような場面を擬似的に設定して行われる従来の選考活動に意味は充分あるはずです。就活の場だけイデアの世界にすっ飛んでしまっては、そのほうが意味がないでしょう。
ちなみにその意味で、殊更に「就活は茶番だ」と反論することなど、誰にもできないはずだと思います。就活を「茶番だ」と言っている人たちのロジックは、国家は茶番だ、貨幣は茶番だ、神は茶番だなどと言っているようなものでしょう。
■異なる制約のもとで戦う
しかしながら、今まさにこれまでの制約におけるクリティカルな部分(コミュニケーション・プロセスをどう顕在化し、「再現されるリアル」の確かさをどう高めるか)を解決するオルタナティブとして、「Webのソーシャル化」という、ネットワークの存在理由をあらためて象徴するような現象が出てきているのが事実で、いろいろと言い訳しながらそれを無視し続けるのは、採用に関わるものとしては自己都合的・過去肯定的な職務怠慢になると思っています。
(前回のエントリに記したごとく)面接という場面設定をし、若者の経験のプロセスを「なぜ、なぜ」と聞き出し、その人となりを探るのも依然として正しい方法だと思われるのですが、それとて「旧来の場面設定の制約の中では」という注意書きがされるような時代になってきたのだと思います。そしてそういった古い制約に縛られた方法にこれまで真摯に向き合ってきた採用担当者であればあるほど、自ずとその限界について認識をしてるはずだと思います。
twitterなりfacebookなりが顕著にした「Webのソーシャル化」と、そこに存在するコミュニケーションの新約説には、これまでの制約を相対する新たな実用性が、かなりの確度で存在していることは間違いないです。
確かに、数百人レベルの採用をする大企業であれば、組織は一人ひとりの存在論ではなく、数量としての確率論で動いていくと思われますから、これまでのマスアプローチの論理と比較したうえで、ソーシャル&リアルタイムな活動を維持することが単純に効率が悪いという判断をするかもしれません。それはよい判断だと思います。(大企業=有名企業でもあるのでマスアプローチで勝ち組になれる。)ただ、日本に存在するほとんどの企業が、それらマーケティング上かなり特殊な位置に存在する大企業と同じステージで同じ行動原則に乗ることはないと思いますし、大企業の動きを追随するような(そして、それゆえに結局は大企業に負けるというような)活動は、採用に限らず、しなくていいはずだと思います。
これまで、大企業と同じ行動原則にならざるを得なかったのは、マスアプローチ前提の同じステージでの勝負を選択していたからであり、そこに乗ることくらいしか選択肢がなかったからだと思いますが、ロジックが異なるソーシャルWebというステージが実用可能な規模をもってきた今、これまで困難であった自社の差別化を実現する福音となるはずです。
■「採用担当者は必要なくなる」という若い感性
先日、こちらのイベント(しゅうかついったー主催:facebook就活部)でお話をさせていただく機会があり、USTREAMやtwitterを通じて学生の皆さんと話をしていたのですが、とてもいいなぁと思ったことがいくつもありました。それは、
「もう採用担当者って必要なくなると思う」とか、
「匿名でソーシャルメディアを使うことのメリットが良く分からない」
というような発言に代表される、若い世代の至極真っ当な感性です。
こういう若者たちが自己発信をする場として選択するソーシャルメディアにおいては、企業と学生が(就活のような)特定の時期に限らず、実名で繋がり続ける術が用意されています。冒頭に申し上げたとおり、時間的制約も地理的制約も取り払われているわけです。そのように、前提=制約が大きく変わっているなかで、コンピテンシー面接などの古い手法(失礼!)などに傾倒して、人となりや経験をプロセスから探るのだとか力まなくても、お互いのコミュニケーションログの積み重ねが、緩やかに長い時間の中で本質的にすべてを解決してくれるはずだと思っています。そうなれば、例えば、(他の会社もやっているからというような理由で)とってつけたように無理やり行われているインターンシップやら、合同説明会やらにも、力を入れなくていいはずです。
さらに、ソーシャルメディアにおけるコミュニケーションで、とても貴重だと実感しているのは、「きちんとがんばっている人が、きちんと報われる仕組みがある」ことです。
大企業ではなくても、しっかりとしたポリシーと方向性に基づいたコンテンツを発信し続けたり、個別にしっかりとコミュニケーションをとっていければ、ソーシャルな仕掛けが本来的に持っている集合知的なレバレッジによって、その存在はどんどん押し上げられていきます。なかでも、「個別にコミュニケーションする」という行動は、数の論理で動く大企業がしたくてもできないことです。だからこそ、小さな企業が明確なターゲティングを行い、それら若者たちのソーシャルグラフの中で存在感を高めていくという活動を戦略的に行うべきですし、その結果として、これまで得ることがなかった大きな価値を手に入れるべきです。
きっと、そういった企業活動が本流になってくれば、マスアプローチの行動原則に支配されるがゆえの「季節労働的な」採用活動(就職活動)は必要なくなるのだと思います。それに気がついている企業や学生にっとっては、一括採用も、画一化された採用手法も、ほとんど意味を失うでしょう。そして、そのときには、現在の採用担当者という仕事のあり方はなくなっているはずですし、そうなるべきだと思います。もっと本質的で貴重なコミュニケーションを行う別の姿に変わっていくはずです。
文責:人事・採用担当 浦野
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