2013新卒も始まろうというタイミングですが、あるメジャーなニュース番組で「ソー活」という特集がされ、(マイナスな意味で)大きな波紋を与えたようです。
個人的には、そりゃそうなるだろうなと思っています。
特にテレビのコンテンツになるという過程で顕著ですが、利用者や認知が拡がっていく際に起こりがちな、「そもそも論に対する認識の欠落」が2つの側面で起こってしまっていることに、関係者はあらためて目を留めておくべきでしょう。
こういうことは、これからも続くケースだと思われたので、2つの側面をここで取りまとめておきたいと思います。
■1.個別事情の一般化:
ひとつ目は、個別事情を一般化しようとする際に起こる間違いです。
「採用活動をソーシャル化するべきか否か?」という問題は、そもそも各企業の事業戦略(採用戦略)に紐づく個別最適な戦術の話であるはず。なのにそれらが一般化(すべてに適用)されようとするところに間違いが起こるのは、必然的なものでしょう。
個々の企業の具体的な事情の中にしか、ソーシャル化の意味は存在していない。でも、そんなものはマスメディアがわざわざ放送するべきものであるはずが、ない。
つまり、「個別企業の事情であるところ」を、わざわざ「マス」メディアであるテレビが、コンテンツとしてパッケージしようとすることに無理が生じるというのは、当り前なこと。マスメディア的に汎用化される部分だけ抜き出してまとめれば、表層的な捉え方になるか、分かり易くする過程で個別の事情が捨象されていくしか、いずれかしかない。
個別のものがあたかも一般な事象とされて、伝えられていく。誤解や懐疑を生むようなパッケージになることは火を見るよりも(放送見るまでもなく)明らかではないかと思う。
■2.わかりやすいツール論化:
ふたつ目は、表層化もしくは一般化される過程で、ソーシャルリクルーティングの話題がfacebookやtwitterなど「ツールを使いこなすことである」という分かりやすい解釈に収斂されるという、議論の枠組みの間違い。
facebookとかtwitterとかは単純なツール論のはずで、目的ではないし、条件でもない。「ソーシャル」とは「ネット上で行う活動である」という定義であるわけもない。そんなところにフォーカスしても議論は上っ面をなめるだけでしょう。更にもっと重要なことを言えば、ツール論で捉える限りは(前回も書いた通り)facebookもtwitterもリクルーティングの場にしてはいけないツールなのです。
「ツールを使うこと」という部分だけ無為に見せられたら「人事に監視されるのか!おえっ!」みたいなリアクションが出てくるのは当然であると思う。
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今回のような取り上げられ方(パッケージのされ方)は、ソーシャルな活動を問題意識を持ってしてきた人たちにとって、大きな痛手となってしまったと思う。そしてこういうことはこれからもたびたび起こるだろう。
今回、大きなそもそも論が欠けたまま、広く言及されることになってしまったこと(今回の放送で初めて「ソー活」を知ったという人がどれほど多いか。これが刷り込みのスタートになってしまった)を、これから取り戻していくのは、それなりに辛い作業になるだろうと思う。潜在層をとり逃したかもしれないし、逆に間違った参加者を増やしている可能性もある。
「ソー活(笑)」っていうワーディングのほうが似合う雰囲気になっている感もある。
■どんな状況でも忘れたくないこと:
いつも言っていることを繰り返しますが、「ソーシャル」という活動の価値は、本来は、細かい信頼関係とそのログの積み重ねにしか存在しないもののはずで、その一点を忘れると大きなしっぺ返しを食う。テレビで放送されれば一気にメジャーになるぞわ~い!という発想も、そもそも「ソーシャル」上での価値を考えて活動する人のものではない。ひとつひとつ重ねることでしか、本当の意図は伝わらない。
そのうえで、信頼関係を積み重ねるための手段として、facebookやtwitterはその設計思想上(リクナビのそれなんかとくらべると断然)、使いやすい部分があるけれど、それだってツールありきではなく、「信頼関係の構築を肝に銘じてその場にいる」ゆえに、良好な結果につながってくれるという、その前後関係は忘れてはいけない。
■まとめ:
採用活動をソーシャル化するということは、各社個別の事情に基づく戦術の話であり、小さな信頼関係の構築を志向するものであって、マスに対して総論として届けるようなものではないはず。採用担当者は、他社が成功しているから当社もやるべき、というものでもないですし、学生の皆さんは、みんながやっているから自分もやらなくちゃいけない、というものでもない。さらにはfacebookやtwitterで行われるやりとりがソーシャルリクルーティング/ソーシャル就活の本懐でもない。
話題になるほど、こういう基本的なところが、これからどんどんズレてくるのだと思う。なぜならこれらのポイントは、「実際に手足を動かした者にしか実感できないところ」だからだ。テレビとか既存のメディアに取り上げられること(実際にソーシャル上で手足を動かしていない人によるコンテンツ化)を無警戒に喜んでいては、ちょっといただけない。そもそもネットで起こっている事象を既存メディアがどう取り扱いたいかという事情だって、考えておくべきだと思う。ハシゴ下ろされるとか、上げてから叩きつけらるとかしないよう、気をつけないとね。
文責:人事・採用担当 浦野
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